「委ねる」ヨハネ3:22-30

バプテスマのヨハネという人物がおりました。彼はイエス・キリストより少し前に活躍した人物で、「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒され火に投げ込まれる。」(マタイ3:10)と脅すような強い言葉で人々に生き方や行いの方向転換を迫りました。そして多くの人がヨハネに期待して彼の元に集まってバプテスマ(全身を水に浸す形の洗礼)を受けていました。

そんな最中、イエスもまた宣教を始めます。イエスは言います「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。イエスもまた方向転換(悔い改め)を迫るのですが、ヨハネとは違って「あなたがたは神様に愛されているのだ」と語り、生き方や行いの変革よりもむしろ心を開かせようとされました。

ヨハネによる福音書では、そのためにヨハネよりもイエスにバプテスマを授けてもらおうと人々が集まったと記されています。それについてヨハネの弟子はイエスへの妬みと「自分の師匠の元にこそ人が集まるべきだ」という思いと「師匠、もっと頑張ってください」という気持ちをもってヨハネに報告します。しかしヨハネは言います、「あの方は栄え、わたしは衰えなければならない」(ヨハネ3:30)。

「衰える」ということは「力が弱まる」ということです。そして「人に助けてもらわなくてはならない」「人に背負ってもらわなくてはならない」ということです。ヨハネは人々に頑張る事、強くある事を群衆に訴えて来たし、ヨハネの弟子達はヨハネに自らの理想を背負わせようとしました。しかしヨハネは、自分の弱さや小ささを神様に委ね、背負ってもらうという新しい生き方へと導く方がイエスなのだ、この方こそ神の子だ、と告白するのです。(牧師:田中伊策)

「委ねる」ヨハネによる福音書3章22-30節