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「神の言葉とパン」 マタイ4:1-4

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」 (マタイによる福音書4章4節)

上の言葉はイエス様が空腹だった時、そこに誘惑する者が来て「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と唆された時にイエス様が言われた言葉です。この言葉はイエス様のオリジナルの言葉ではなく旧約聖書にある言葉です。旧約聖書の申命記8章2節に「あなたの神、主が導かれた四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」とあります。

イスラエルの人々がかつてエジプトで奴隷になっていた時、神様はモーセという人物を立ててイスラエルの人々を奴隷から救い出されました。しかし、人々は荒れ野で旅に嫌気がさして「ここにはパンも肉もない」と文句を言います。しかし神はこの何もないような荒れ野で朝にはマナというウエハースのような白い食べ物を荒れ野一面に、夕にはウズラの大群を来させて食べる物とされました。

その事を思い起こさせる文章として申命記の8章があり、その中に「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためである」(3節)という言葉があります。 人の欲望や不満には限りがありません。「あれが欲しい(食べたい)、これが欲しい(食べたい)」と思います。

そんな時に私達の心にささやく声が聞こえてきます、「あいつのをもらっちゃえよ!お前のものにしてしまえよ!お前が神になっちゃえばいいんだよ」って。「石(人の物)をパン(自分の物)に変えてみろよ」って。しかし、私達が聞かなくてはならないのは「私があなたを養う」と言われる神様の声です。そして神様は私達に必要なものを備えて下さいます。それは自分の願っている「パン」ではないかもしれません。でも、分かち合って頂く命の糧を神様は与えて下さいます。(牧師:田中伊策)

神の言葉とパン マタイによる福音書4章1-4節