「神の言葉 イエス・キリスト」 イザヤ書55:8-11

時に神のすべてを知った気になることがある。あたかも、神の全体像(神の思い・計画)を、すべて隅から隅まで見ているように錯覚してしまうことがある。しかし、まったくの逆である。圧倒的な神の恵みの下に、私たちがいるのであり、私たちが見ているのは、神の全体像のほんの一部である。その全体像を私たちは知らない。

今日の聖書の言葉、「天が地を高く超えているように わたし(神)の道は、あなたたちの道を わたし(神)の思いは あなたたちの思いを、高く超えている」。この言葉を受けたのは、預言者イザヤである。捕囚末期、解放の時が近いことを告げ知らせ、絶望し、あきらめていた人々に、エルサレムへの帰還を強く促し、慰めの言葉として語られた預言である。

しかし、のちの時代を知る私たちは、歴史がこれらの預言(40-50章)にあるように、実現したとはいいがたいということを知っている。エルサレムは大国の脅威にさらされ続け、ローマの支配にのみこまれてしまう。 重要なのは、神の言葉である。神の言葉は活動する言葉であり、神が語られるところでは、何事かが起こされるのである。「わたし(神)の言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたし(神)の望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす」。神の言葉は、必ず神の望むことを成し遂げ、神の使命を果たす。人間の思いを超えた神の思いを、神の言葉は「必ず」果たす。そのことは、イエス・キリストによって、実現した。神の思いは人間の思いを超える。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)。」神の言葉、イエス・キリストが、昨日も今日も明日も共にいてくださり、私たちを慰め、励まし、力づけていてくださる。 (青木紋子神学生)

神の言葉 イエス・キリスト イザヤ書55章:8-11節