「この方を始まりとする」 マルコ1:1

マルコによる福音書は最初に「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉を記します。新約聖書が書かれたギリシア語の聖書では「初め」(アルケー)という言葉から始まっています。これは旧約聖書の創世記の始まりの言葉「初めに神は天と地とを創造された」と同じです(旧約聖書は元々ヘブライ語で書かれているので「初め」という言葉は「アルケー」ではなく「ベレシート」という言葉ですが…)。

「神が天地を創造された」それは、この頼りない不安定な世にあって、神が基となられ私達の歩みを愛を持って定められた、という事です。マルコによる福音書はこの創世記を意識して「初め」という言葉を冒頭にしているように思います。「私達の基はイエス・キリストであり、私達はここから始まりここに帰ってくる」というマルコ福音書の信仰告白でもあります。

さらにここには「神の子」という言葉も出てきます。「神の子」という言葉はマルコによる福音書では殆ど出てこない言葉です。その数少ない「神の子」という言葉の中で、最も印象的な箇所として、イエスの十字架の場面があります。イエスを十字架につけたローマの百人隊長がイエスの死を目の当たりにして「本当に、この人は神の子だった」(15:39)と告白しているのです。マルコにとって「神の子」とは神々しい、奇跡的なものではなく、私達の罪の故に十字架の上で苦しまれた方である、とも告白しているのです。

「神の子イエス・キリストの福音の初め」。この短い言葉の中に、凝縮された信仰告白が込められています。それは同時にイエス・キリストの中に凝縮された神の愛が詰まっているとも言えるのではないでしょうか。 (牧師:田中伊策)

「この方を始まりとする」 マルコによる福音書1章1節