「一緒に苦労する力」 マルコ2:1-12

「四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。」(3節・4節)

イエス様のところにいっぱいの人が集まっていたところに、四人の人たちがやって参ります。隔てを越えてでも、敷居の高さをものともしない人たちがやって来ました。敷居なんて言っていられない。彼らは病人を抱えていました。「運んでくる」それは彼らが体の不自由な人の代わりになった、この人の足になった、ということです。彼の代わりにイエス様の所に向かう足になりました。彼らは敷居の高さを打ち破り、屋根に上って屋根を壊します。彼らは風穴を開けたのです。

教会の中にいたら、教会という場所の敷居の高さにはなかなか気づかないものです。例えば歩く事に苦労しない人には少しの段差は感じないのですが、不自由になったり、高齢になったりしたらちょっとの段差でも苦労します。そういう人との出会いや、自分がそうなった時に初めて敷居を感じるのです。教会の中から「おいで、おいで」と簡単に言っている間は、キリスト教に馴染みのない人が感じている敷居に気づかない、若しくは忘れてしまっているのです。

だから私達は教会の外で人と出会う事が必要です。そしてその出会いから私たち自身が「風穴を開けてもらう」のです。「風穴を開ける」とは「閉塞状態にある組織などに新風を吹き込む」という意味です。「風穴を開ける」というのはそこに新しい風が吹き込まれる、神様の語りかけとしての風が流れる。新約聖書で「風」と「聖霊」とは同じ意味の言葉です。出会いの中で、教会が形を変える、風を通す、そういうことが問われているのだろうと思います。 (牧師:田中伊策)

「一緒に苦労する力」 マルコによる福音書2章1-12節