「恵みとして数える」マルコ6:30-44

『さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。』(マルコ6:30-31)

「使徒」というと「イエス様の立派なお弟子さん」というイメージがあるかもしれません。「使徒」=「イエス様の直々の12人の弟子」みたいな感じで。でも、この使徒という言葉は新約聖書の元々の言葉であるギリシア語では“アポストロス”という言葉が使われており、そこには「遣わされた者」という意味があります。そう考えると、礼拝に出席して元気をもらって「さあ、ここから歩み出しなさい」「いってらっしゃい」と送り出される人はだれでも「使徒」になる訳で、それで良いのだと思います。

ただし、出て行ったままではなく帰ってくる事が大事です。教会はそうやって帰ってくるところです。実際、「教会」という言葉はギリシア語では“エクレシア”と言いますが、「呼び集められた人々の集まり」という意味を持ちます。「おいで」「おかえり」と言われる場所であり集まり、それが教会だということです。そして、誰から「いってらっしゃい」「おかえり」と言われるか、それが神様です。

「いってらっしゃい!」「おかえり!」と言われる場所として多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、きっと家庭だろうと思います。だから教会は「神の家族」というのです。神様から招かれ呼ばれて共に礼拝し、そこからまた神様からそれぞれの場所へ送り出される。それが教会なのです。家の食卓で今日あったことを話すように、送り出された場所での神様の恵みや自分の行った事を分かち合う。家や家族の安心の中で休むように、教会で安らぎ力をもらう。そんな教会の姿をこの聖書の言葉は示しているように思います。家族は年齢も性別も違うけど一緒が当たり前、分かち合うのも当たり前。教会も同じです。 (牧師:田中伊策)

「恵みとして数える」マルコによる福音書6章30-44節