「一緒に愛しましょう」

「児童期…は人としての土台を作る貴重な期間だ。社会的なルールを学んだり、基礎的な知識を学んだりすることも大事だが、それ以上にもっと根本的なものを身につける二度とない時期なのである。それは生きる事を楽しめる力、大切な存在を信じ愛する力、自分自身を大切にする力といった生きることの根本を支える力である。それらは、この時期にしか育むことのできないものである。

知識を教え込むことに熱心なあまり、この最も基本的な土台を育むことをおろそかにしてしまっては、何にもならないのである。そのためには、十分な愛情と保護を与え、見守り続ける必要がある。この子はしっかりしているから大丈夫、などと思ってはいけない。甘えるのが下手な、我慢する子ほど、気をつけておかねばならない。小さい頃に我慢して愛情をもらいそびれたツケが、思春期になって回ってくることは非常に多いのである。

子どもの頃、少々弱々しくても、大切にされ守られて育った子は、成熟を遂げ、大人になると、上手に世渡りするようになる。逆に、子ども時代に守られず、大切にされた経験が乏しいと、自分を安売りして、損な選択ばかりしてしまうことになりがちだ。子どもの頃、依存的で、甘えん坊で、泣き虫だった子が、泣き虫ゆえに、たっぷりと愛情をもらえ、物怖じしない性格になっている一方で、子どもの頃は、とてもしっかり者で、一番放っておかれた子が、不安の強い、自信のない性格に育ち、青年になっても親元から離れることができないというケースはよく出会うものである。 親の責任は重いと言えよう」。(岡田尊司著『子どもの「心の病」を知る』PHP新書,2005年,p115-116)

著者の岡田さんは精神科医で、特に親子関係や子どもの発達について深い知識を持ち、京都医療少年院でも働かれていました。その岡田さんが児童期には「生きる事を楽しめる力、大切な存在を信じ愛する力、自分自身を大切にする力といった生きることの根本を支える力」が大切であり、「十分な愛情と保護を与え、見守り続ける必要」だと訴えるこの言葉には説得力があります。それだけに最後の「親の責任は重い」という言葉は響きをもって迫ります。

しかし親自身が「生きることを楽しめ」なければ、そして親自身が「自分を大切に」していなければ、本当の意味で子どもに「生きることの根本を支える力」を伝えることは出来ません。それにはその「重さ」を一人や二人で負うのではなく、もっと多くの人で負っていくことが大事です。そうでないと、その重さに耐えられなくなる時が来てしまいます。

教会はその重さを一緒に抱えたいと思っています。それは私たちもまた「一人で背負わなくていいよ。私も一緒だよ」というイエス様の言葉を聞いたからです。その言葉から神様に愛されている実感を頂いたからです。一人で抱えちゃいけない、その命は重すぎる、その責任は重すぎる。だから一緒に生きましょう。愛の中で一緒に育てましょう。(牧師・田中伊策)