「直線だけがまっすぐではない」箴言3:5-6

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。

そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3章5-6節)

「あなたの道を歩け」と書かれていると、「あなたらしく進め」と思う人が多いと思います。「あなたらしく」とか「私らしく」とか、魅力のある言葉ですね。でもこの「あなた(私)らしく」には落とし穴があります。人がなんて言おうと私は私、という他者との隔てが生まれがちになるところです。むしろこの聖書の個所では「自分の分別に頼らず」と書かれています。そこには「あなたはあなたのままでいい」とか「ありのままの私」とか「あなたはあなた 私は私」とか、人と自分を分ける事への否定が記されています。

人間も含め、命というものはすべからく外部や他者からの刺激によって成長するものです。その刺激と命そのものが持っている個性とが重なり合って「私」が「私」になってゆくのです。

「私は私の道を行く」それは一見、直線であり「まっすぐ」な生き方のように思えます。しかし「私」は一人では生きられないのです。この聖書の個所には「心を尽くして主に信頼し」とあります。神様でなくても信頼に値する存在や誰かを信頼して進む生き方へと促しています。誰かと生きるというのは自分の思った通りには進めません。速くなったり遅くなったり、右に行ったり左に行ったり時には後戻りしたり、そういうこともあるでしょう。でも、それこそが人としてまっすぐな生き方なのだよ、と聖書は語っています。直線だけがまっすぐではない、くねくね曲がったまっすぐだってあるのです。そんな生き方を神様は「それで良し!」と言われます。それが「主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」ということです。            (牧師:田中伊策)

「直線だけがまっすぐではない」箴言3章56節