「私も一緒に喜ぶために」ヨハネ2:1-12

「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。」(1-2節)

イエスがお祝いの席についている、というのは聖書では見かけることのない姿です。聖書でよく見る悲しむ者、傷んでいる者、虐げられている者、病を負っている者、そういう人と共におられるイエスの姿とは違った姿のように思えます。けれども、イエスはよく人々と食事を共にしています。ただ一緒に悲しむだけでなく、一緒にいる中に喜びや希望を共に見出そうとされていたのです。

イエス様の時代、結婚のお祝いは一週間にも及ぶことがあったそうです。それは単にお祭り好きだったのでも、ただのしきたりでもなく、大きな意味があったように思います。これだけ嬉しい事に一生懸命になったのは、辛い毎日、過酷な現実の裏返しだったからではないでしょうか。世界的に有名なブラジルのリオのカーニバルもまた何日にもわたってサンバが踊り続けられます。きらびやかな衣装に身をまとって踊り、巨大な山車を引いているのは庶民です。貧しい中から生活費を削って衣装や山車の費用とします。貧しく厳しい生活だからこそ、喜びが必要であり、その喜びのために一所懸命になるのです。

その結婚のお祝いでぶどう酒が底をついた!そんな時にマリアが、イエスが、召使いたちが二人のため、そして私も一緒に喜ぶために人知れず苦労する物語がこの聖書の箇所です。私の苦労や努力を誉めてもらうためではなく、私も一緒に喜ぼうとするその出来事に 神様の大きな祝福が与えられるのです。(牧師:田中伊策)

「私も一緒に喜ぶために」ヨハネによる福音書2章1-12節