2026年3月8日「誰のものとして生きるのか」 

聖書 マルコによる福音書 12章13~17節

 イエス様は「皇帝に税金を納めるべきか」という問いを受けます。それは単なる税金の問題ではなく、「神に従うのか、それとも皇帝に従うのか」という信仰の根本を問う罠でした。もし「納めるな」と言えば反逆者とされ、「納めよ」と言えば民衆の支持を失う、巧妙な問いだったのです。
 しかしイエス様はデナリオン銀貨を示し、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われます。ここで問われているのは、私たち自身は誰のものなのかということです。聖書は、人間は神のかたちに造られたと語ります。ですから、銀貨が皇帝の肖像によって皇帝のものであるなら、神様のかたちを刻まれた私たちは神様のものなのです。
 そして、「神のものは神に返しなさい」とは、人生の一部を神様に捧げるという意味ではありません。私たちの命も時間も人生もすべて神様から与えられたものであり、自分自身を神様にお返しして生きることが信仰なのです。しかし人間は、自分の人生を神様から奪い取り、自分を主人として生きてきました。その罪の中にある私たちを取り戻すために、イエス・キリストは十字架へと進まれました。十字架とは、神のものを神様のもとへ取り戻す神の愛なのです。(牧師 篠田 裕俊)

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