「人は良い種」 マタイ13:24ー30

聖書はこんな言葉で始まっています。「初めに、神は天と地を創造された」(創世記1:1)。

これはつまり、神様がすべてのものを作って、そこからすべては始まった、と聖書は教えているのです。「神は言われた『光あれ』こうして、光があった」(同1:3)と書かれています。「言われた」それはつまり、神様はこんなふうに思ったということです。

言葉というのは神様の気持ち、そしてその気持ちが形になった、「光あれ」それは真っ暗な人の世に光が欲しい、この真っ暗な中だとみんなが道に迷ってしまうから、光が欲しい、って、そうした神様の気持ちが、心が、言葉が形になったのがこの世界なんだ、と聖書は教えています。

悲しんでいる人、困っている人、ダメだって言われている人、そんな人たちに対して神様はこの人達に光があったら、って思われています。長い間、ずっと神様はその暗い中にいる人達と一緒の気持ちになっていました。そして、そこがパーって明るくなった。それがイエス様です。

イエス様は神様の「みんなのために光が欲しい」という気持ち、そして「光あれ」という言葉がそのまま命になった方です。だから、その光のところにたくさん悲しんでいる人たちが集まって来たのです。その「光あれ」と言われた聖書の始めのお話には、こんな事も書かれています。「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女とに創造された」(同1:27)。神様は人を作られた。私たちです。

そして私達は神様に似たものとして作られた、というのです。どこが神様と似ているのか。私達が神様の喜ばれる事を行う時に似て来るのです。この世の中に、そして悲しんでいる人たちの中に「光あれ」と言われたように、私達も悲しんでいる人達のそばに行って「光があったらいいのにねぇ」って思う時に、神様に似た姿になっているのです。

その神様は人をつくられた後で「それは極めて良かった」(同じ1:31)と言われます。神様は命を、そして私達人を良いものとして作られたのです。私たち一人一人は神様から蒔かれた良い種なのです。 (牧師:田中伊策)

「人は良い種」 マタイによる福音書13章24~30節