救い主のしるし マルコ14:3-9

救い主のしるし

マルコによる福音書14章3~9節

 

シモンはイエスを自分の家に迎えて食事をします。彼が住んでいたのは「ベタニヤ」という村、その意味は「貧しい者の家・悩む者の家」。しかも彼は「重い皮膚病」でした。皮膚病の人は社会から排除されておりました。だからベタニヤに住む重い皮膚病の人シモンの食卓に並べられた物は決して豪華ではなかったでしょう。けれどもイエス様ご自身が望まれてこのベタニヤに来られていました。それはイエス様が人々の貧しさ、悩み、悲しみを知りたかったからです。その悲しみの傍らに行きたかったからです。

 

そこに一人の女性が来ます。彼女はイエスの頭に油を注ぎ始めます。「油を注ぐ」それは王様の戴冠式で行われる事柄です。そして、メシアというヘブライ語は「油注がれた者」という意味です。つまり彼女はこのイエスを「あなたこそメシア(ギリシア語ではキリスト)」と告白しているのです。「このイエス」とはベタニヤで皮膚病の人シモンと食事をするイエス、です。彼女は悩む者と共に悩み、悲しむ者と悲しむイエスに救い主のしるしを見たのです。

周りではイエスを殺そうとする陰謀(14:1-2)と裏切り(14:10-11)が渦巻いている中で、イエスはそれでも悲しむ者の悩む者の傍らに行かれます。イエスの進まれる道は変わりません。それは変わらない神様の愛そのものです。そしてその歩みは十字架へと向かいます。シモンの悲しみや痛みだけでなく、この世の波に流れてしまう私達の弱さや罪をも抱えて十字架の道にイエスは進まれるのです。 時代の中で救い主のしるしを見逃さない彼女の信仰をイエスは褒め称えます。私達は何をもってイエスをメシアと呼ぶか、問われています。