「大きな柔らかい心で」 マタイ7:13-14

「狭い門から入りなさい」とイエス様は言われます。この「狭い門」とはどんな門でしょうか。「狭い」のですからきっと「窮屈さ」を感じるでしょう。そうでなくては「狭い」とは思えないでしょう。門だけではありません。体が成長すれば、今まで何も思わないで着ていた服も窮屈に感じ、そして着られなくなるのです。それが大きくなるということです。私達は大きくなるということが今まで出来なかったことが出来るようになる、と考えますが、実は大人になることで出来なくなるものだってあるのです。

「狭い門から入りなさい」ということもそうなのではないでしょうか。イエス様は「神の国はこのような者たち(子ども達)のものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入る事は出来ない」(マルコ10:14-15)。持っている、知っている、そう言う事で私達は「得た」つもりになっているけれど、実はそのように思う事で「失った」事柄もあるのです。得たと思う事が心を傲慢にさせ、心を肥え太らせてゆきます。そんな肥え太った心では、当然「狭い門」を通る事は出来ません。

狭い門から入るためには自分が握っている手を離さなくてはなりません。自分で自分を守る武器や鎧を捨て、自分で自分の罪を包み隠す上着を脱がなくてはなりません。

愛する子ども達には大きくなってもらいたいと思います。しかし、頑なにはなってほしくない。優しい心、柔らかい心のままでいて欲しいと思います。大きくなっても柔らかい心ならその狭さを通り抜けることが出来ます。そして何より、柔らかい心なら、他の人の心にしっかり寄り添う事ができます。イエス様が喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣かれたように。子ども達がそのような心のままで成長してゆくことを願いながら、私達もまた、狭い門から入れるように、イエス様を見ながら柔らかい心になってゆきたいと思います。 (田中伊策牧師)

 

「大きな柔らかい心で」 マタイによる福音書7章13-14節