「希望への同伴者」ルカ8:26-39

「悪霊」などと言うと私達はすぐにホラー映画のような映像やオカルトチックな現象を思い浮かべて怪しんでしまいます。でも聖書でいうところの「悪霊」とは別に特別なものではありません。人間関係の悩み、自己嫌悪、病気から来る煩い、越えられない課題を前にしてのひどい落ち込みや無気力、忙しさから来る苛立ち、言い知れない孤独感。そういう事柄の本質を「悪霊」と表現しているのです。

「なんだ、悪霊って特別な事柄じゃないんだ。怖くないんだ!」そう思うかもしれません。確かに「特別」ではありませんが、「怖くない」訳ではありません。風邪は万病の元と言います。心に力がなくなっている時に悪霊に入られるとこじらせてしまうことになりますから、やはり怖いと思います。

彼もそうだったのでしょう。どんな事が彼に起こったのかは分かりませんが、彼は町を離れて衣服を身に着けず墓場を住まいとしておりました。彼はイエスに名を尋ねられると「レギオン」と答えます。レギオンというのは当時イスラエルを支配していたローマの軍隊の中で5000~6000人程の大隊です。

彼の中にはたくさんの悲しみや痛みや傷があったのです。抱えきれない痛みを一人で抱えた彼は孤独を覚えながら、絶望を感じながら一人で何とか生きてきたのです。 そんな彼にイエスは「汚れた霊よ、出て行け!」と言います。そうすると悪霊は出て行ったとあります。

ここで私達はまた怪しみます、「なんかオカルトチックな現象が起こってる!」って。でも、重荷とか悲しみとか痛みとか罪悪感とか、誰かに話すことが出来たら、スーッとしたり元気が出たり頑張ろうと思えたり素直に「ごめんなさい」と言えたり、ってあるじゃないですか。抱えきれない事柄を親身になって聞いてくれたら力が出るじゃないですか。そう言う事です。

私達は一人では絶望から希望へ方向転換して進む事は出来ません。同伴者が必要です。「神は共におられる」決して離れない希望への同伴者です。(田中伊策牧師)

希望への同伴者 ルカによる福音書8章26-39節