「補い合うこと」 エフェソ4:16

『キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。』(エフェソの信徒への手紙4章16節)

切り立った崖や垂直に近い山を、道具を使わないで登ってゆく「フリークライミング」は、ちょっと出っ張った場所や岩の割れ目などに手や足をかけながら登ってゆきます。普通の山登りだとデコボコした場所があると登りにくくて困ります。時にはそういう場所で転んでしまいます。無い方が有難いと思います。でもフリークライミングでは、この小さなデコボコや岩の割れ目、そういう場所があるから登ってゆく事が出来るのです。

それは私達の生き方そのものじゃないかな、って思います。何故なら私達一人一人もデコボコしているからです。人を躓かせてしまったり、人を傷付けてしまったり、時にはそれで喧嘩も起こります。そして自分や人のデコボコを見て、「どうして私ってこうなんだろう?」「どうしてこの人ってこうなんだろう?」って腹が立ったり、「面倒だな、こんなデコボコない方がいいな」って思ったりします。でもイエス様は、この一人一人のデコボコや一人一人の割れ目、でっぱりを愛されました。それは他の人とは違うあなたそのものだって、大切にされたのです。イエス様はそのデコボコを接点に共に歩まれたのです(それはもしかしたら、神と人との接点でもあるように思います)。

そんなイエス様から、「一人一人が持っている面倒なところや分からない所、それは紛れもなく欠点や弱点なのだけれど、同時にそれがあるから私達は一緒に生きて行けるんじゃないか」ということを教えられます。そしてそのデコボコを手がかりに、自分や相手を理解しようとしたり、お互いに助け合ったり出来るんじゃないかな、手がかりがつながりになって、一緒に登って行けるんじゃないかな、って思います。 (牧師:田中伊策)

「補い合うこと」 エフェソの信徒への手紙4章16節