「希望の振り出し」 マルコ16:7

「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」この言葉は、女性たちが生前のイエスを思い出し、復活のイエスと出会うために立ち上がり、ガリラヤに向かって歩みだすように促す言葉ですが、私達に対しては、「もう一度、福音書の最初に戻りなさい」と言っているのではないでしょうか。

福音書の最初には正に、ガリラヤで歩まれたイエスの姿が記されているからです。私達は同じような過ちを繰り返し行います。「また同じ失敗をしてしまった!」とよく思います。また行いだけではなく、感情もそうです。穏やかに過ごしたい、希望をもって歩みたい、でも、私達は日々起こる様々な出来事の前で、躓き、泣き、怒り、絶望します。そしてその度に、「私はイエス様を信じたはずなのに」と思います。

何も変わっていない、弱く、小さな自分と出会います。「駄目だなぁ」って思います。でも、イエス様は「またかい。また同じ過ちを犯すのか。この間は一緒だったけど、今度はもうあなた一人で頑張りなさい」とは言われない。何度同じ道を進もうとも、何度同じ過ちを行おうとも、その道を主は共に歩んで下さいます。それは私達が毎週礼拝を行う事と似ています。そして、私達が毎月主の晩餐を行う事と似ています。そして、私達が毎年クリスマスをお祝いする事と似ています。私達の心が強く、そしていつまでも熱く、さらに忘れないで行う事が出来るのであれば、礼拝はしなくても良いでしょう。主の晩餐式も行わなくても良いでしょう。あえてクリスマスを設けなくても良いでしょう。

けれども、私達は毎週、毎月、毎年行います。私達が同じ過ちを犯す人間だからです。再びガリラヤへ。また振り出しへ。それは、何度でもこのイエスと共に立ち上がれ、というメッセージなのです。 (牧師:田中伊策)

希望の振り出し マルコによる福音書16章7節