「あなたに触れたのは誰か」 ルカ8:45-46

群衆が押し合いへし合いする中でイエス様は「わたしに触れたのは誰か?」と尋ねます。病気で苦しむ一人の女性がイエス様に触ったら治るんじゃないか、と触れたのです。そして、彼女はその病から解放されたのです。その時に、イエス「わたしに触れたのは誰か?」と言われたのです。群衆がいる中でしたが人々は「私ではない」と言い、お弟子さんは「こんなに人がいるのだから…」と言います。

朝、テレビをつけると昔でいう所のワイドショー的なものばかりやっています。「こんな事故がありました」「こんな事件がありました」ととても痛ましい事故、残虐な犯罪ばかり伝えます。「可哀そうに」とか「ひどい」とか「許せない」とか思いながら見ている人がたくさんいるのでしょう。しかしテレビは見る人にその感情を与えるだけで去ってゆきます。それで終わりです。そして見る側もチャンネルを変えるように、気持ちを変えます。「さあ、朝ご飯を食べよう」とか「行ってきます」とか、「洗濯物、干さなくっちゃ」とか。目の前での事は私とは関係のない事柄だからこそ見る事が出来る、そういうものだろうと思います。もし自分に降りかかるようなものだったら、とても見られない、そう思うのではないでしょうか。

この群衆もそうでしょう。自分とは関係ない、ただイエス様のするのを見に行こうって。本当は目の前にイエス様がいて、本当はもう触れているのに、「いや違うんです。私はあなたとは関係ない」そう言うんですね。それが「自分ではない」というのです。「こんなにたくさん人はいる、こんなにいろんなことが起こる、それにいちいち関わっていられないでしょ」それが「こんなに人がいるのだから…」という弟子の言葉です。

でもイエス様は受け止められるのです。彼女の病、そして痛みを受け止められるのです。自分の痛み、悲しみを知っている人がいる、そう知った時彼女は救われたのです。(牧師)

「あなたに触れたのは誰か」 ルカによる福音書8章45-46節