「愛は大切」 ヨハネⅠ 4:7-8

愛は大切
ヨハネの手紙Ⅰ 4章7-8節

「百聞は一見にしかず」と言います。言葉でどれだけ丁寧に伝えても分からなかったのに、「ほらこれだよ!」と見せたら「こういうことね!」と理解してもらえるということはよくあります。

象やキリンを見た事がない人にその姿形を言葉で細かく説明しても、聞いた人が描く姿は本物とは似ても似つかぬ姿になる事でしょう。実物や写真を見て、「これだったのか!」という事になるでしょう。それは言葉には隙間があるからです。

それは決して悪い事ばかりではありません。その言葉の隙間が想像力を蓄えさせることにもなるからです。子どもに昔話を聞かせる時、子どもは足らない情報を自分で補いイメージを膨らませ、物語を豊かにさせます。これがテレビだと目に飛び込む情報を受け入れるだけなので想像する力を養うことは出来ません。

「最近の若い者は受身がちで、自分から考えて仕事ができない」と言われるのは「ゆとり教育」が原因ではなく、メディアのせいなのではないか、と思います。

また言葉の隙間は、自分と相手の間にある「違い」という隔たりがそうさせる事もあります。例えば、優しい父親に育てられた人は「父」という言葉に「優しさ」を添え、厳しい父親に育てられた人は「父」という言葉に「厳しさ」を添えます。同じ「父」という言葉を使っても、二人の間の隔たりが、言葉に隙間を作ります。

言葉には一人ひとりのイメージが付きまとうのです。 では「愛」という言葉はどんなイメージでしょうか?イエス・キリストよりも前のユダヤ教では愛とは「戒め」でした。「これを守りなさい。あなたのために言っているのです!」という言葉を「愛」としていました。そしてそれが神だと思っていました。

でもイエスは愛を「どんなあなたであろうと私はあなたが大切だ」と伝えました。言葉だけでなく悲しむ人と共に悲しみ、傷ついた人に寄り添う事で。そのイエスから「愛って『大切』って事なのだ!神は私たちを大切だ、と言って下さるのだ」と知ったのです。神は言葉を越えて、神と人との隔たりを越えて、イエスを与えて下さったのです。あなたが大切だから、それが神だからです。 (牧師:田中伊策)