「それでもあなたを愛している」 マタイ26:20-25

「だが人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(24節)そうイエス様は言われました。「人の子」というのはイエス様の事です。イエス様を裏切る、それはイエス様の喜ばれる歩みから遠ざかる、イエス様と一緒に歩もうとしてもそうできない自分そのものです。正しく歩めない、失敗ばかりする、そんな時に「私なんていない方が良かった」って思う。駄目な自分を「私なんて生まれなければ良かった」って思う。「生まれなかった方が、その者のためによかった」という言葉の「その者のためには」というのは、生まれなければ良かった、と自分で思ってしまう、ということなのではないでしょうか。私なんてダメ、俺なんていない方が良い、そう思ってしまう自分のことです。

しかし、イエス様は言われます。「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血」(28節)と。「そんなあなたの罪を、弱さを担おう。そしてその罪や弱さに苛まれるあなたを私が支えよう、そのために私は十字架に向かう。あなたがいくら『私なんていなければ良かった。私なんて生まれなければ良かった。』と思っても、それでもあなたを愛している」とイエス様は示してくださっています。

生まれなくてよかった命なんてものは一つもありません。何故なら、命は神様から与えられるものだから。何故なら、命は神様が一人一人を愛して下さったものだから。その愛する神と、愛されるに相応しくないと思う私達の間に十字架は立っています。それでもあなたを愛しているというしるしが神と私達との間に立っています。十字架の主が神と私達とを繋ぎ合わせて下さるのです。その愛に促されて歩み出したいと思います。その歩み出す場所で出会う一人一人との間で、十字架の主がその一人一人との間でつなぎ合わせて下さることを信じて、失敗しながらも、過ちを繰り返しながらも、勇気をもって歩み出したいと思います。 (牧師:田中伊策)

「それでもあなたを愛している」 マタイによる福音書26章20-25節