「共に夜明けを迎える」 マルコ1:32-34

イスラエルでは「安息日」をとても大切にします。それは旧約聖書に「安息日に心を留め、これを聖別せよ。(中略)いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」(出エジプト記20章8-10節)。ここに出て来るのは「あなた」以外、立場の弱い存在(息子、娘、奴隷、寄留者)が記されています。これは「あなた」よりも立場の弱い人々のための律法だと思われます。上の立場の人が休まないと、仕える人は休めない。「あなたが休めば安心して立場の低い人も休める。だから仕える人を休ませてあげるために、あなたも休め」というのがこの戒めが言わんとする中心です。

ところが人々はそれを「休まなければならない」と考え、そしてそれを強いるのです。それで、休まないと「律法違反だ!」と指摘するのです。そんなんじゃ、ゆっくり休めません。緊張した休日は休日じゃない。

イエスはこの安息日に病の中にある人を癒します。同時に「律法違反だ!」と指摘されるのを恐れる人々も癒します。安息日が終わる夕暮れにやって来た人々を癒されると共に「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」(マルコ1:34)とあります。「悪霊」とは人の中に住まう弱さ、悲しみ、恐れ、そして罪の思いです。イエスは「何も言わなくていいよ。言い訳しないでいいよ。分かっているから。この夕闇の先に朝がある。一緒に希望をもって歩み出す朝を迎えよう。」と言われるのです。(牧師:田中伊策)

「共に夜明けを迎える」 マルコによる福音書1章32-34節