「いろいろありますが」コリントⅠ 12:4-11

いきなりですが聖書で言う(聖)霊って何でしょう?

この事を考える時に、霊だけを独立して考えるのではなく、三位一体、つまり三つ(父、子、聖霊)は一つだというところから考えるべきなのだろうと思います。 コロサイの信徒への手紙1章にこんな言葉があります。「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です」(15節)。「見えない神の姿」、神様は見えない、見えないと私達は不安になります。神様って本当にいるの?神様なんていないんじゃないか?「神も仏もあるものか」そう思うのは絶望する時です。

その絶望の中イエス・キリストは来られ、「神様はあなたを愛しているよ。共におられるよ。ほら、私も一緒だよ」そう語られました。それが「御子は、見えない神の姿」です。神様という存在を、イエス様はその姿であらわして下さったのです。 では、霊って何でしょう。聖書の中では「霊を受けなさい」という言葉が繰り返し使われます。ヨハネによる福音書20章22節でイエス様は「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」。

つまりイエス様は息を感じなさい、って言われるんです。風は見えないけれど、頬に冷たい、若しくは生暖かいものが当たったら風が吹いているって分かる。また木が揺れたら風が吹いているって分かる。その吹いている風をその動きから風を感じなさいというのです。それが「聖霊を受けなさい」ということです。

それを神様とどういう関係があるか、それは様々な出来事の中に神様の働きを感じなさいということです。イエス様は「空の鳥を見なさい。野の花を見なさい」と言われました。それは鳥を、そして花を見る中で、そこに働かれる神様を感じなさい、ということです。 神は見えない。その見えない神様を、姿をもって示してくださったのがイエス・キリスト。そして聖霊というのは見えない神様の働きであり、足跡であり、しるしです。互いに補い合いながら神はその愛を私達に示そうとしているのです。 (牧師:田中伊策)

「いろいろありますが」コリントの信徒への手紙一12章4-11節