「調子に乗ってごめんなさい」サムエル記下24:10-25

「あなたの心配は何か?」神様は私たちにそう尋ねられます。

私たちには日々いろんな心配事がありますから、心の中がその心配事でいっぱいになり、自分で何とかしよう、私が頑張らなくちゃ、と思ってしまいます。そして、神様が語られるその続きの言葉「私がいるよ。大丈夫だよ」が耳に入らなくなります。その時に私たちは間違った道を進みます。

自分の事ばかり考え、自分が正しいと思い込み、周りの人たちの悲しみを感じることも、うめきを聴くことも出来なくなります。しかし、神様は何度でも私たちを招かれます。そして神様と仲直りをすること、神様に信頼することを喜ばれます。どうしてすぐに戦争が始まるのか、どうしていつまでも戦争が終わらないか。それは戦争をすると決めた偉い人たちは、自分では刀も銃も持たないからです。

自分たちはエアコンの効いた安全な処で「行け!」とか「殺せ!」と命令するだけだからです。そして、戦争が終わる時は、その偉い人たちが「そろそろ自分の命が危ないぞ」と思う時です。その間に、たくさんの人が死んでしまいます。戦う人たちは憎いから殺しあうのでも、威張りたいから武器を持つのでもありません。偉い人たちから命令されているからです。

ダビデもそうでした。ダビデさんは神様から立てられて王様になりました。私の愛する命を守りなさない、と命じられて、神様の国を良い道に進めるために王になりました。でも、いつの間にか神様の国ではなく自分の国にしていました。自分の事ばかり考えて、戦争に行く人を増やそうとばかり考えました。自分が敵に追われるのは嫌だ、とたくさんの人が傷つき、血を流し、死んでしまうことを選んでしまったのです。

イエス様の事を考えたいと思います。イエス様は最後まで神様が愛する人を慰め、励まし、支え、守られ、愛されました、武器を持たないまま。そして、人々の罪も弱さもすべて受け止められ、抱えて十字架で死なれました。そして、そのイエス様は今、私たちに語り掛けておられます。神様と仲直りしなさい。神様に信頼しなさい、と。イエス様は私たちを招かれておられます。何度でも立ち返るように招いておられます。
(牧師:田中伊策)

「調子に乗ってごめんなさい」サムエル記下24章10-25節