「あのイエスが選んだ十二人」マルコ3:13-19

「十二使徒」という言葉は、かつては完全にキリスト教用語でしたが、今はキリスト教に興味のない人も結構知っている人もいる言葉です。「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメーションの中にはキリスト教用語がふんだんに出て来ており(聖書の偽典・外典に載っていてクリスチャンも知らない言葉も出てきます)、「使徒」は主人公たちに対して攻撃してくる生物というか物体というか、そういうものでした。

さて、この聖書の箇所はイエス様が12人の特別な弟子、「使徒」を選んだという箇所です。 ここにはまず、「山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た」とあります。山に登ってから呼び寄せたということは、イエス様が山に登られると多くの人たちがついて来ていた。その中で特定の人を呼んだ。それが十二使徒ということです。

多くの中で特定を選んでその人の名前を呼ぶ。呼ばれた人は誇らしげに前に進み出たのでしょうか。だとするとイエス様の行為としては不思議です。イエス様は悲しむ者、傷む者、虐げられた者のところに行かれた方です。そのイエス様が自分の働きのお手伝いに「出来る」人を選ぶでしょうか。そうとは思えません。むしろ、この12人が選ばれたのは彼らがイエス様の近くにいないといけない人だったからなのだと思います。その証拠に福音書を見ると使徒たちはむしろ足手まといで、邪魔ばかり。意図的でないにしろ、主人公のイエス様の働きを邪魔したり攻撃したりする側になっています。

私達はどうでしょう。同じなのではないか、と思います。私達は出来るからでもなく、偉いからでもなく、むしろ目が離せない、手が離せないから私の側にいなさい、と招かれたのではないか、と思うのです。自分に対して「ダメなだなぁ」と思っているこの私に対し「あなたが大切だ」と言ってくれるから信じていける、従っていける。それ以上のものが自分にあると勘違いした時、使徒たちもイエス様に叱られています。(牧師:田中伊策)

「あのイエスが選んだ十二人」マルコによる福音書3章13-19節