「神の国の懐」マルコ10:13-16

イエス様は「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、けっしてそこに入ることはできない」(15節)と言われます。この言葉をこれまでキリスト教は「子どもが神の国を受け入れるようにあなたも神の国を受け入れなさい」つまり「神様を受け入れる」という観点から読んできたように思います。しかし、この言葉は「子どもを受け入れるように神の国を受け入れなさい」という、「小さなものを受け入れる」事の大切さから読んでゆく言葉なのだと思います。その小さな者を受け入れる時にそこに神の国は生まれるということ。

漫才のコンビで中川家という人たちがいます。お兄さんの剛さんと弟の礼二さんの兄弟で漫才をしているので中川家。この二人が舞台で漫才をしていたのですが、その時に前の方の席にお父さんと赤ちゃんがいたそうです。で、その子が泣きだしてしまいます。

お父さんがあやしても泣き止まない。それで邪魔になるということで席を立ったのですが、その時に舞台の上で漫才をしていた中川家の礼二さんが「出て行かなくていいよ。そんな良い席なのに。赤ちゃんは泣くのが仕事だから」って声をかけ、ステージに呼んで赤ちゃんを抱っこして、お兄さんの剛さんが犬や猫のものまねをして泣き止ませたそうです。

インターネットで「中川家 神対応」で検索したらわんさか出てきます。まさに神対応だと思います。きっとその時、そこに神の国があったのだろうなぁ、って思います。その子どもの泣き声が受けいれられたとき、そこにいたすべての人が神の国を経験したのだと思います。それは一緒にその場所にいなければ経験できない神の国です。

一緒に礼拝するってそういう事なのだと思います。幼子が受け入れられるということは、お母さんやお父さんが受け入れられるということ、そしてそれはそのまま小さな私が受け入れられる、ということ。一緒に神の国の懐の広さ、深さ、温かさを喜びたいと思います。(牧師・田中伊策)

「神の国の懐」マルコによる福音書10章13-16節