マタイによる福音書の5章から7節は、「山上の説教(垂訓)」と言われている有名な箇所です。イエス様は、山に登られて、人々に天の国とはどんな所であるかを教えます。その中の一つに、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とあります。私たちにとって敵とはどんな人でしょうか。それは、自分を迫害する人です。私たちは、そんな人を愛することも、祈ることもできません。それなのに、どうしてイエス様は、「愛しなさい。祈りなさい」と言われるのでしょうか。その理由をイエス様は、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者」となるからだと言われます。
では、「完全な者」とはどんな人なのでしょうか。それは、人を差別することなく愛する人のことです。神様は私たちを愛して罪を贖うために、イエス様を十字架につけられました。しかもイエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました。それだけ私たちは、神様から愛されているのです。敵を愛し、祈る時、その人は変わります。イエス様は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われます。私たちが、それに応えるとき、イエス様は「幸いである」と言われるのです。(牧師 篠田 裕俊)