「一緒に食べたら良かったのに」 創世記25:27-34

「一緒に食べたら良かったのに」 創世記25章27-34節

時々旧約聖書を「旧訳」と勘違いされる方がおられます。これだと旧い翻訳という事になってしまいます。「旧約」というのはイエス・キリスト以前の神様と人との約束(つまり旧い約束)について書かれています。「私(神)があなたがたを救い出すから、あなたがたは私に従って来なさい」という約束(契約)について書かれています。

それに対して「新約」とはイエス・キリストを通して与えられた新しい神と人との約束(だから新しい約束)です。「私(神)があなたがたを愛するから、あなたがたはこの私の愛を受け取りなさい(信じなさい)」というものです。

旧約聖書はイエス・キリスト以前のイスラエル民族に与えられた約束で、読み手はほぼイスラエル(ユダヤ)人です。つまりこれはユダヤ教の経典です。それに対して新約聖書はすべての人に与えられた約束で、キリスト教で読まれます。そしてキリスト教は旧約聖書も用いています。 けれども、旧約聖書と新約聖書の間には大きなギャップがあります。旧約聖書は血なまぐさく、そして律法を守るという事が非常に重んじられます。

このギャップを解消するためには、私達読み手が旧約聖書の限界を越えて読む必要があります。旧約聖書はイスラエル民族を中心として、イスラエル人の視点で「イスラエル人によって」書かれています。そうなると他の民族との間には壁があり、敵となる場合が多い訳です。

でも新約聖書においてイエスは、愛はその壁を壊すのだ、と示されます。イエスが与えられたのはその旧約聖書の限界を越えるために来られたのです。新約聖書と旧約聖書との間に隔たりを感じれば感じるほど、そこにイエス様の来られた意味を知ることが出来るのです。そして、イエス様が越えられたその限界を私達も越えて聖書を読み、そしてそのように生きるように促されています。 (牧師:田中伊策)