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「喜びの知らせ、私達も」 黙示録1:1

新約聖書の中に「ヨハネの黙示録」があります。「黙示録」というとクリスチャンの中にも「この世の終わりについて書いてある」と思っている人もいるようです。それは「黙示」という言葉のギリシア語(アポカリプス)の意味が「隠されていたものがあきらかにされる」だからかもしれません。

けれども、実際はその逆です。「隠されていたものがあきらかにされる」どころか「わざと事柄を包み隠して記している」のです。何故なら、はっきり伝わってしまうと困るからです。執筆年代ははっきりとは分かりませんが、70~90年かそれ以降。時代としてはキリスト教がローマ帝国によって大迫害を受けている頃です。

ですからクリスチャン同士でおおっぴらに手紙など書けません。ですから「今は苦しい時代だけれど、やがて大きな転換が起こる。光輝く朝はやってくる。だから、信じて進みなさい」という意味を包み隠して象徴的に伝えているのです。ですから「この世の終わりについて書いてある」のでもありません。

その時代を越えて今があります。苦難を越えて現在のキリスト教があります。つまり、このヨハネの黙示録の言葉「今は苦しい時代だけれど、やがて大きな転換が起こる。光輝く朝はやってくる。だから、信じて進みなさい」が真実であるということ、私達は表しているのです。そして私達のこれからの歩みもまたこの言葉の通りです。それがヨハネの黙示録の読み方です。

もしかしたら苦難の先にしか本当の希望はないのかもしれません。だから人生は苦しいのかもしれません。だから信じる事もしんどいのかもしれません。けれど、気を付けなくてはなりません。先に希望がなっている苦難と、先に絶望が待っている苦難があるからです。愛する苦労の先には希望が、争いの苦労の先には絶望が待っています。道を間違えないようにイエス様に先だっていただきましょう。 (牧師:田中伊策)

喜びの知らせ、私達も ヨハネの黙示録1章1節