「聖なる罪人の教会」 コリントⅠ 1:1-3

コリントの信徒への手紙Ⅰは伝道者パウロがコリントの教会に宛てた手紙です。このコリントの教会はパウロ自身がその地で伝道をして生まれた教会です。ところがパウロが去った後、コリントの教会には様々な問題が起こります。誰を指導者とするかという議論が起こり分裂問題が起こったり(1~4章)、倫理的に乱れた事が起こったり(5~6章)、貧富の差から起こる差別の問題(11章)、特別に何かできる人だけ評価されたり(12~14章)。それを聞いたパウロが書いたのがこの手紙です。

パウロはガッカリしたことでしょう。イエス・キリストを伝える事で神様の愛をコリントの人々に手渡しし、せっかく教会が生まれたのにこんな事になったのですから。しかし、パウロはこの手紙の始まりに次のように記します、「コリントにある神の教会へ」。こんなに情けない恥ずかしい教会に対して、それでもパウロは「神の教会」と呼びかけるのです。

パウロはどうしてそのように呼びかける事が出来たのでしょうか。それはパウロは「教会」というものが何か知っていたからです。パウロは「神の教会へ」と呼びかけた後に「すなわち、…キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と言い換えています。ここには「この教会は神様が大切に思ってあえて選ばれた(聖別された=聖なる)教会だ」という思いがあります。そしてパウロ自身もそうです。

パウロ自身もキリスト教徒を熱心に迫害していた人物です。しかし、そのパウロにキリストが「なぜ私を迫害するのか」と語りかけ、そして敢えて伝道者として選ばれた(「召されて」1節)のです。そんなパウロだからこそ、このコリントの教会を「神の教会」「召されて聖なる者とされた人々」と呼びかけることが出来たのです。

教会は自分を別の場所に置いて人を裁くことが出来ない場所です。こんな私を敢えて神は招かれた、だから人の事を裁くことは出来ない、それが教会です。(田中伊策牧師)

 

聖なる罪人の教会 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章1-3節