「人の歴史を貫く神」 マタイ1:6

今日の聖書の箇所6節には後半「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」とあります。この系図にはほとんど男性しか出てこないのですが、4人のだけ女性が出て参ります。その一人が「ウリヤの妻」という人物が出て参ります。彼女の名前はバテシバというのですが、バテシバとして系図に載るのではなく、「ウリヤの妻」と記してあるのには大きな意味があります。このエピソードはサムエル記下に記されている物語です。

王様となったダビデはある日、昼寝をします。昼寝から覚めて屋上から見下ろしますと、一人の女性が水浴びをしておりました。ダビデはその女性に一目ぼれをしてしまい、部下にその女性が誰かを探らせます。そうするとイスラエルの兵士でヘト人という外国人のウリヤという人物の妻でありました。夫のウリヤはその時、戦争に出ておりました。それでダビデ王はこの一兵士の妻バテシバを王宮に呼び寄せ、そして彼女を辱めます。バテシバはとても悲しみ傷ついたことでしょう。

しかし、それで事は終わりません。しばらくしてバテシバから「子を宿した」という知らせがダビデのところに届きます。そこでダビデは兵士のウリヤを戦場から送り返すように命令します。身ごもった子をウリヤの子との間に出来た子にしようとしたのです。命令に従ってウリヤは帰って来るのですが、戦場と他の兵士たちが気になって自宅に帰りません。それでダビデは逆にウリヤを戦いの一番激しい場所に送るように命令します。

そして、そこでウリヤは戦死をしてしまうのです。妻のバテシバは夫の戦死の知らせに悲しみ嘆きます。そして喪が明けると、ダビデはバテシバを妻として迎え、そして子どもは生まれます。その子は残念な事に産まれて間もなくして亡くなってしまいます。そして、その後バテシバが生んだ子どもがソロモンでした。それが「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」という言葉の意味です。

隠したいような国の歴史を記し、英雄の名を汚すような出来事を系図に表す聖書。それは自虐的というべきものではなく、それでも人の罪や悲しみに伴い、それでも人の歴史を貫いて神は共にあることを示し、その中に与えられたイエスを喜ぶためにあります。(牧師:田中伊策)

「人の歴史を貫く神」 マタイによる福音書1章6節