「明るいからこそ見えなくなるものがある」マタイ2:4-12

イエス・キリストの誕生の出来事についてマタイによる福音書では「占星術の学者」が大きな役割を果たします。東の国で新しい王の誕生を示す星を見つけてイスラエルにやってきます。しかし、そのことを首都エルサレムの人々は誰も知りません。むしろ「不安に抱いた」(3節)と記されています。それでも祭司や律法学者から「聖書によるとそれはベツレヘムです」という言葉を聞き出発しようとするのですが、その時に王ヘロデは「見つかったら教えてくれ。私も拝みに行きたいから」と言います。しかし、「この国に二人の王はいらん。私だけが王なのだ。見つけたら殺してやる」というのが本意なのですが、そんなことは知らずに占星術の学者は星に導かれて幼子を探します。

しかし、ヘロデはどうしてわざわざ占星術の学者の帰りを待ったのでしょう。結果、この学者たちは天使のお告げによって占星術の学者は別の道を通って帰ってしまい、待っている間にイエスとヨセフ・マリアはエジプトに脱出してしまいます。外国人がこの幼子を見つけられるくらいだから、ヘロデ王だったら自分の部下や兵士を総動員してすぐに幼子イエスを見つけられただろうに、と思ってしまいます。

ところがそうではありません。占星術の学者だからこそ幼子イエスを見つけられたのだと聖書は語っています。東の国とは今のイラン・イラク辺り、旧約時代にはバビロニア帝国とかアッシリア帝国があった国です。戦いに明け暮れ、没落した場所です。彼らは闇の時代を迎えた中で光を求めていたのです。占星術の学者はそんな闇の中で星(光)を見つけます。逆にエルサレムの人々は煌びやかで賑やかな世界にいました。権力・名声・富・力、そんな眩しい光の中にいる人々が小さな光を見つける事など出来ません。

明るい中では決して見えない、闇の中でこそ見ることができる光。守ってもらわなくては育たない、それも泣く事でしか助けを求められない小さな命、実はそれは私も同じ。そしてそれを尊いとする神。そのしるしこそがイエス・キリストです。(牧師:田中伊策)

「明るいからこそ見えなくなるものがある」マタイによる福音書2章4-12節