「お客様は神様です」ルカに5:27-32

イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国という大国の植民地にとなっておりました。大国が植民地を持つ旨味、それはそこからさまざまなものを搾取して自分の国を財政的人材的知識的に富ませるためです。無理な徴税もその一つです。

徴税人レビはそんなことを仕事としていました。多分、その道を通る者から通行税を徴収していたと思われます。さらにその税金の金額は徴税人が決めて良いことになっておりましたから、このレビはローマに納税するよりも多くのお金を徴収していたと思われます。イエスはそんな彼が徴税所にいるのを見て「わたしに従いなさい」(27節)と言います。そして聖書には「彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」(28節)とあります。何でこんなに簡単に従えたかというと、この徴税人という仕事はお金は入りますが、同胞から「ローマに魂を売り渡した者」「罪人」「裏切者」扱いをされていたからです。様々なものを手に入れても、心にはポッカリ穴が空いていた、そんな状態だったからこのイエス様の言葉が響いたのではないでしょうか。

ただ、この「何もかも捨てて」という言葉は原文(ギリシア語)からの直訳では「一切を残し」とあります。今まで握っていたお金、仕事、地位、そういうものを一端自分の手から離し、イエスに従ったという事であり、お金や仕事を本当に捨てた、ということではなかったでしょう。何故なら、彼はイエス様のために自分の家で盛大な宴会を催すからです(29節)。

ここにはレビの大きな変化があります。人から蔑まれながらも「自分のために」生きて来た彼が「イエス様のために」生きるため、他の徴税人も招いて一緒に生きようとしているからです。それは自分の思った通りに自分の思う方向にハンドルを切っていたドライバーが、客を乗せて客の言う方向、言う所に向かうタクシーの運転手に変わるようなものです。客が「そこ右に曲がって」と言われたら右に曲がるように、信仰も同じでイエス様が新しい道を進もうと促すその道へハンドルを切る生き方が信じて生きるということです。これってイエス様をお客様として載せている運転手みたいなものです。 (牧師:田中伊策)

「お客様は神様です」ルカによる福音書5章27-32節