ヨシヤ王の後を継いだヨヤキム王は、再び偶像礼拝の罪を犯します。そのため主は、「見よ、今度こそわたしはこの地の住民を投げだす」という裁きを宣言されます。その裁きとは、民の指導者たちが主を求めなかったために、敵の軍隊が北から襲ってくることです。エレミヤは、この裁きを自分の傷として、「これはわたしの病/わたしはこれに耐えよう」と告白するのです。そして、主に向かって、「主よ、わたしは知っています。/人はその道を定めえず/歩みながら、足取りを確かめることはできません」と祈ります。さらに、「わたしを懲らしめてください/しかし、正しい裁きによって」と、主の憐れみを願って、主の懲らしめを自分自身の身に受けるのです。神様は、私たちに何を求められているのでしょうか。それは、主を求め、主の道を歩むことです。自分の力に頼るのではなく、主を認めて、主に拠り頼んで歩む人生ほど、幸いな歩みはありません。(牧師 篠田 裕俊)