「あなたはどなた?」 ルカ8:22-25

2010年に亡くなられた作家の井上ひさしさんは「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」と言われていたそうです。私も「そうありたいなぁ」と願い、努力しているのですが難しい。すぐに自分の理解の浅さと言葉の少なさを痛感します。そして、いつの間にか教会の中に溢れる専門用語に逃げてしまっています。自分の浅さが暴かれる事が恥ずかしいからでしょう。本当はそんなふうに取り繕う自分の方が恥ずかしいのに…。

そしてふと思います。もしかしたら日本のキリスト教、日本の教会、日本のクリスチャンもまたそうだったのではないか、って。「伝道」とか「リバイバル」とか勇ましく言いつつも、伝える言葉を持っておらず、そしてそれを隠すために専門用語で逃げて来たのではないか、って。

弟子達はイエス様と共にガリラヤ湖に舟を出します。イエス様はすぐに眠ってしまいました。そこに嵐がやって参ります。彼らは身の危険を感じ、イエス様に「先生、先生、おぼれそうです」と起こします。イエス様が風と荒波を叱ると凪になります。弟子たちに対しても「あなたがたの信仰はどこにあるのか?」と言います。その時に弟子達のリアクションが面白い。信じて従っているその方に対して、『弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。』というのです。

これは私達の姿でもあります。100%分かって信仰に入る人なんていないし、信じたって従ったっていつまでも100%には程遠い。それなのに、分かったふりして分からない言葉使って分からない自分を包み隠して。でも、大事なのは私がこの方に日々助けられ、救われ続けているという事実と、そこから生まれる新しい出会い、そして対話です。分かったふりをする時、そこ関係は止まってしまいます。対話も終わります。 日々、イエス様との出会いと対話が新しい言葉を与えます。その偽りのない言葉で伝えて行くのです。分からないって、先があるということでもあります。 (牧師:田中伊策)

あなたはどなた? ルカによる福音書8章22-25節