「荒地に水、闇に光、切り株にひこばえ」 イザヤ6:1-13

創世記1章1節には「初めに神は天と地とを創造された」と書かれています。天地の始まりですから、聖書全部を通しても一番古い時代のお話です。けれども、この天地創造の物語がまとめられたのは、実は旧約聖書の中で一番新しい時代、と言われています。

新しいと言っても紀元前500年の中ごろですが。この時代は、イスラエルという国にとって闇の時代でした。バビロニアという国によって滅ぼされ、多くの人々が奴隷として連れて行かれました。

バビロニアに連れて行かれた人々は、奴隷生活の中で思うのです。「ああ、私達は神様から離れていた。私達の国はイスラエル、『神は戦われる』という意味じゃないか。それなのに、私達は神ではなく人間の力に頼っていた。神様の光から遠ざかり、自ら闇の中を進んでしまったのだ。」そのような悔い改めの中で「私たちは神様に帰ろう!」と思いまとめられたのが天地創造の物語です。

ここには、また神様の秩序によって生きよう、神様の光の中を歩もう、そういう思いが溢れています。神様の創られた世界、神様に与えられた命、そこに立ち返るために書かれたからです。初めに神は天と地とを創造された。「初めは神だ。神が基準だ」そういう宣言から始まり、神の言葉によってすべてのものが命を得て行きます。ここには6日間ですべての秩序が定められたと書かれています。その一日の終わりは同じ言い回しです。「夕となり朝となった。第○日である」。夕となり、朝となった。

私達は一日は陽が昇って一日が始まり、日が沈んで一日が終わる、というように考えますが、イスラエルは夕暮れを一日の始まりと考えます。「日が暮れて一日が終わるだが、それは同時に次の日の始まり」という考え方です。しかし、それだけでなく、この「夕となり朝となった。第○日である」には、バビロニアでの奴隷生活にある人々の思いがあります、「今は闇の時代だけれど、神様は必ず新しい朝を与えてくれる」という希望の言葉です。闇の時代にあって光を待ち望む、そういう信仰の言葉でもあります。 (牧師:田中伊策)

「荒地に水、闇に光、切り株にひこばえ」 イザヤ書6章1-13節