「キリストの平和を生きる」 エフェソ2:14-16

「キリストの平和を生きる」 エフェソの信徒への手紙2章14-16節

「西南学院の創立の時から、現在まで守り導いてくださった歴史の主であるインマヌエルの神さま。 私たちは、本日ここに「西南学院学徒出陣戦没者追悼記念式」を開き、70年前に勉学を志半ばで断念して戦場に赴き、お亡くなりになられた方々を覚え、追悼するために集まってまいりました。

これらの方々は、この学院を卒業して、大きな志を持って社会に羽ばたこうとの夢を持っておられました。そのような20歳そこそこの多くの若者が、自分の人生を選ぶ道を閉ざされ、ペンを銃に持ち替えて、なぜ戦わなければならなかったのでしょうか。過酷な時代の犠牲者であり、その気持ちをひとことで言うなら、「無念」という言葉に尽きると思います。

しかし一方で、私たちの国は、この戦争の交戦国や植民地支配をおこなったアジアの国々に多大の悲しみと損失を与え、戦後60数年を経た今もその痛みは消えずに残っていることを忘れてはなりません。 また、西南学院はキリスト教を建学の精神として、平和を作り出す使命を持った学校であったにもかかわらず、この戦争に協力し、学生・生徒を戦場に送り出しました。そして、戦後も、そのことを悔い改めずに過ごしてまいりました。

私たちは今日、これらのことを改めて覚えることで、歴史を振り返り、未来を見据えつつ、グローバルな友好関係を「隣人」の方々との間に築いていかなければならないと思っています。そのことが、新たな100年に向かう学院の進むべき方向であると共に、お亡くなりになられた皆さま方と戦争の犠牲になられた多くの方々にお答えする唯一の道であると信じるからです。 「西南学院学徒出陣戦没者追悼記念式」開催にあたって、私たちを和解の道へと導いて下さる平和の主であるイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」

2013年6月1日 西南学院中学校・高等学校(当時) 伊 原 幹 治 西南学院百年史編纂委員会『西南学院史紀要』(2014.5 Vol.9)より