「その声は心に響いた」マルコ7:31-37

8月の日々を過ごしています。平和ということを深く考えさせる月です。でも、テロは起こり、争いは止まず、日本の首相は先制攻撃で核を使わないと言うアメリカを批判する、「つまり先制攻撃に核を使え!」と言っている、原子爆弾を落とされた国の首相が。さらに、防衛費をあげよ、と言う。対話ではなく武力こそが大切なのだ、と言っている。選挙は負け、シールズは解散する。どんどん平和への道が遠ざかります。どんどん国と国との間の距離が広がり、人と人との間の隔てが高くなる。この距離、この隔てを前にして対話でなんてつながらない、そう思う中で、それでも私たちが愛そうとする、つながろうとする時その思いと業をイエスは愛しみ、「開け」と語られ、その隔てを崩し、そしてつながれます。

平和のために武器を使うのは試験のカンニングや運動選手のドーピングと同じです。努力の方向を間違い失格になってしまうような行為です。大切なのは過程です。福音書に書かれているイエスの姿は、人と人とを愛でつなぎ、神と人とを愛でつなぐことにひたむきに進まれた姿です。「耳が聞こえず舌の回らない人」と人々をつなぐために「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた」イエス、そして正しく歩めず、神を忘れ、すぐに絶望してしまいそうになる私たちと神とをつなぐためにその弱さを担い十字架にかかられたイエス、その姿が福音書のイエスです。手を伸ばしても平和に届かない私たちの先でイエスは「開け」と語り、そして結んで下さいます。私たちがイエスを信じるという事は、単に心で信じるにとどまらず、歩みだすその先に働いてくださり、つないで下さる事を信じるということです。イエスは私たちの共に生きようとする小さな一歩を、愛そうとする一歩を愛しまれ、つないでくださいます。 (牧師 田中伊策)

「その声は心に響いた」マルコによる福音書7章31-37節