「生きるための命」 マルコ2:23-28

「生きるための命」 マルコによる福音書2章23-28節

出エジプト記20章の中にはこうあります。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」。これは「神様が6日かけてすべてのものを創られた、そして7日目は休まれた。7日目は安息の日なのだ。だから休みましょう」というものです。

もっと強い言葉じゃないか、と思うかもしれません。けれど、この十戒の語り口調は本来、「~してはならない」ではなく、「~するはずがないだろう」と訳すべきではないか、と言われています。

20章の最初に「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とあります。エジプトで奴隷だったイスラエル人を神様は救い出した、というのです。「その神様を知ったら…」ということで戒めが始まります。「あなたは、わたしをおいて他に神があってはならない」これは「その救ってくれた神様を知ったからには『もう他のもの神様とするはずがないだろう』」と言う意味です。

「他に偶像をつくるはずながないだろう」。そして「休まないはずがない、だって神様から救ってもらった命なのだから、大切にするだろう」ということなのです。決して「命令」ではなく、「当然」のこととして記してあるのです。助けてもらった命、救ってもらった命、大切にしろよ!それがこの戒めの本質です。

他の箇所にはさらにこうあります。23章12節、ここには面白い事が書かれています。「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」。あなたが休む事で、あなたよりも立場の低いものが休める、というのです。

それが本来良いものかどうかは別にして、忠実な僕は主人が休まなければなかなか休もうとしない、だからあなたがまず休みなさい。そうしたらあなたより立場の低い者が堂々と休める。これを神様の人間の関係に当てはめると、神様が7日目に休まれたのは、人間が休むことが出来るように、だったのではないか、と思うのです。 (牧師:田中伊策)