「人には手放せないものがある」マルコ10:23-32

私たちはいろんなものを人生の柱としています。仕事、経験、努力、知識、肩書、資格、そしてお金。それを支えにしてここまで生きて来たのだろうと思います。時には憎しみさえ支えとしている時さえあります。私たちは何かを握りしめていないと心配です。

それに対してイエス様は言われます、「お金、知識、経験、努力、肩書、資格、そして武器。そんなに抱えて、あなたはどこに行こうとしているの?その先に、本当に幸せはあるかなぁ。神の国はあるかなぁ。そんなに抱えては入る事は出来ないよ。手を開いてごらん。手放してごらん。大丈夫だよ。私はいる。そんなもの無くても私はあなたを愛している」。

しかしそれなら、あの金持ちはイエス様の言葉で手放す事が出来なかったのはどうしてでしょう。それはまだイエス様が十字架にかかられていなかったからです。このイエス様の十字架を知らなかったからです。イエス様は私たちの罪のために、十字架にかかって下さった。「罪」というのは「犯罪」ということだけではありません。必死に握りしめて、物に頼り、自分に頼り、愛を知らず、受け入れずにいる状態です。

恐れ怯えて必死に何かを抱えて自分を守り、怒り、悲しみ、裁く、そういう生き方に飲み込まれている事を罪というのです。イエス様はその十字架を通して「そのあなたの罪を私は抱えよう。わたしはあなたを愛しているよ。あなたは神様から愛されているよ」と伝えています。

「人間に出来る事ではないが、神には出来る」。愛だけが、その罪を手放す力になるのです。自分では手放すことの出来なかった私たちを神はイエス様を通して自由へと導かれます。
(牧師・田中伊策)

「人には手放せないものがある」マルコによる福音書10章23-32節