「きっと幸せになれる」 ルカ6:21

『今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。 今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。』

今泣いている人やお腹が空いている人は幸せ、とはどういうことでしょう?ちっとも意味が分からないので、他の訳(田川建三訳)の言葉で読んでみると、こうありました。『幸い、今飢える者。汝らこそ満ち足りよう。幸い、今泣く者。汝らこそ笑うであろう。』「幸いである」ではなく「幸い」とだけ書かれていました。これは、祈りの言葉です。「今お腹が空いている皆さん、あなたに幸せがありますように、きっとお腹いっぱいの日が来るから」「今泣いている皆さん、あなたに幸せがありますように、きっと笑える日が来るから」とイエス様は言われているのです。「お腹が空いている今」と「お腹いっぱいの未来」その間に「幸せを願う」という祈りがあるのです。

では幸せって何でしょう?「幸せ」という言葉は日本語では元々「仕合せ」という字が使われていたそうです。「合わせる」というのは違うものを一緒にすることです。誰かが一人で何かをしている時に、違う人がそこに来て一緒にする、それが仕合せであり幸せなのです。聖書も同じ。今お腹が空いている人がいる。そこに違う人が来て、「これ、お食べよ!」っておにぎりをくれるという仕合せが入ると、満腹になる。それが幸せ。今泣いている人がいる。その違う人が来て、「悲しいね。辛いね。」って言ってくれるという仕合せが入る。そうするとやがてそこに笑顔が生まれる。それが幸せ。これこそが「お腹が空いている今」と「お腹いっぱいの未来」その間に「幸せを願う」という祈りの中身です。私達は独りでは生きられません。「人が一人でいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2:18)。神様は私達が一人でいることを良い事とされません。私達が本当に幸せになるのは誰かと一緒の時なのです。一人では空腹も悲しみも越えられません。イエス様は「悲しみの今、空腹の今は共にあることによってのみ越えて行けるのだ。そこに私もいる」と言われるのです。(牧師)

「きっと幸せになれる」 ルカによる福音書6章21節