今年も「子ども感謝礼拝」を献げることができますことを感謝いたします。教会にとってこれほどの恵みと祝福はありません。子どもたちのこれからの歩みが神様によって守られ、恵みと祝福がありますようお祈りいたします。
エルサレムは、バビロン軍によって包囲される中、エレミヤは、王宮の獄舎につながれています。そのエレミヤに神様は、アナトトの畑を買うように言われます。普通に考えれば、滅びる寸前の土地を買うことなど考えられません。しかし神様は、散らされた民を元のところ集め、安らかに住まわせると約束されるのです。つまり、荒れ地になったエルサレムの地に人々は帰り、その地は祝福されて人々は、再び畑を買うようになるのです。それによって、アナトトの売買契約が成就するのです。
神様は、バビロンに包囲されている時、とても大きな希望を与えてくださいました。それだけではありません。神様は、「彼はわたしの民となり、わたしは彼の神となる」と言われて、永遠の契約を結んでくださるのです。しかも、それは神様の喜びなのです。私たちはその恵みを感謝して、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、私たちの主を愛して歩んでいきましょう。(牧師 篠田 裕俊)
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2024年11月10日「心の中に書き記される新しい契約」
神様は、エジプトで奴隷であった民を救われて、シナイ山で契約を結ばれました。それは、「わたしの声を聞き従い、私の契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる」というものです。しかし民は、神様との約束を破り続けます。というよりは、律法だけを守っていれば良いと考えていたのです。神様にとって、民が契約を守らないことは、この世界を救おうとされている計画がとん挫することになります。
そのため神様は、この世界を救うために新しい契約を結ばれます。しかも、古い契約は、石板に書き記して与えられましたが、新しい契約は、私たちの心の中に書き記されるのです。それによって私たちは、主なる神を知ることができるようになり、完全なる罪の赦しが与えられました。この新しい契約によって私たちが行わないとならないことは、たった一つ、私たちの罪の贖うために十字架にかけられたイエス様を救い主と信じることだけです。それは、イエス様を信じるものが一人も滅ばないで、永遠の命を得るために行われる神様の一方的な恵みなのです。
(牧師 篠田 裕俊)
2024年11月3日「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」
今年も残り2カ月となりました。神様によって、これまでの歩みが守られたことを感謝します。
さて、エレミヤ書30章から33章までは、「慰めの書」と言われています。エレミヤは、南ユダ王国がバビロン帝国によって滅亡の危機の中で、その先にある救いの日を見ます。しかし、救いの日は、「見よ、主の怒りの嵐が吹く。嵐は荒れ狂い、神に逆らう者の頭上に吹き荒れる」と言われるように、「主の怒り」の嵐が荒れ狂う日でもあります。
しかし、イエス様は、神様の怒りをすべて十字架によって引き受けてくださいました。そのことを信じる者にとってそれは、「救いの日」となったのです。艱難や苦難は、危機であると同時に神様に立ち返るチャンスの時でもあります。神様に立ち返り、神様との関係の回復を望むとき、神様はいつでもやり直しの機会を与えて下さいます。イエス様は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と。どうかこの言葉を受け止めて、今日の主の晩餐に与って欲しいと願っています。
(牧師 篠田 裕俊)
2024年10月27日「主は我らの救い」
南ユダ王国は、ダビデの子孫が代々王座についていました。それは、神様がダビデに「あなたの子孫もその道を守り、わたしの律法に従って歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を絶たず、わたしの前から消し去ることはない」と約束されたからです。しかし、歴代の王と民は、神に従わず偶像を拝んでいました。そんな彼らに対して神様は、預言者を通して裁きを語ります。それは悔い改めて主に立ち帰るためです。しかしイスラエルは、それに聞き従おうとはしません。神様は、心を痛めながら、バビロン帝国が南ユダ王国を滅ぼし、イスラエルの民をバビロンに連れ去ることをお許しになります。
しかし、神様はイスラエルの民を滅亡されることはありません。どんなに神様に背き、神様から離れて腐敗した社会であっても、神様の御言葉に聞き従う者を残してくださるのです。神様は、「わたしはダビデのために正しい若い枝を起す」と言われます。この方こそ、主イエス・キリストであり、「主は我らの救い」と呼ばれるお方です。イエス様は、正義と恵みの業を行ってくださいます。そして、イエス様によって私たちは、救われ、安らかに住むことができるのです。(牧師 篠田 裕俊)
2024年10月20日「主にゆだねて歩む道」
ヨシヤ王の後を継いだヨヤキム王は、再び偶像礼拝の罪を犯します。そのため主は、「見よ、今度こそわたしはこの地の住民を投げだす」という裁きを宣言されます。その裁きとは、民の指導者たちが主を求めなかったために、敵の軍隊が北から襲ってくることです。エレミヤは、この裁きを自分の傷として、「これはわたしの病/わたしはこれに耐えよう」と告白するのです。そして、主に向かって、「主よ、わたしは知っています。/人はその道を定めえず/歩みながら、足取りを確かめることはできません」と祈ります。さらに、「わたしを懲らしめてください/しかし、正しい裁きによって」と、主の憐れみを願って、主の懲らしめを自分自身の身に受けるのです。神様は、私たちに何を求められているのでしょうか。それは、主を求め、主の道を歩むことです。自分の力に頼るのではなく、主を認めて、主に拠り頼んで歩む人生ほど、幸いな歩みはありません。(牧師 篠田 裕俊)
2024年10月13日「主に立ち帰り、真の幸いに至る道を歩む」
ユダ王国のヨシヤ王は、偶像に心を奪われて人々を主なる神に立ち帰させるために、神殿から偶像を取り除くだけでなく、地方の聖所も取り壊して、宗教改革を断行します。預言者エレミヤは、ヨシヤ王の進める宗教改革に賛同し、神様からの御言葉を語ります。しかし、イスラエルの民は、神様を裏切り続けるのです。そんな民に対して神様は、親が子を叱るような思いで、北から災いを呼び込むのです。それでも神様は、「さまざな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけて見よ。どれが、幸いな道か」と問いかけて、立ち帰るようにと促されます。幸いな道とは何でしょうか。それは主の御言葉に従って歩む道です。(牧師 篠田 裕俊)
2024年10月6日「エレミヤの召命」
エレミヤは、「涙の預言者」とも言われた預言者です。彼は、20代前半に召命を受けてから約40年間、ユダ王国の首都エルサレムがバビロン軍によって陥落した後まで活躍しました。その間、5人の王たちの治世にわたり、王や祭司、またユダの人々に対して来るべき滅びを説き、警告を預言しました。バビロン捕囚後もエルサレムに留まり、神様との新しい契約という約束と希望の言葉を語るのです。神様は、エレミヤを通して何を私たちに語っておられるのでしょうか。
現在の社会状況を見渡す時、私たちは、最後の預言者であるイエス様の御言葉を聞いていくことが大切です。そして、神様は私たちに、自分に立ち返るようにと呼び掛けておられます。神様とともに歩む人生は、何も恐れることはありません。なぜならば、イエス様はすべての重荷を背負ってくださり、希望の光を注いでくださっているからです。(牧師 篠田 裕俊)
2024年9月22日(召天者記念礼拝)「神の計画を信じて歩む恵み」
今日は、召天者記念礼拝です。天国で安らかで眠られている兄弟姉妹を覚えるとともに、ご遺族の上に、主イエス様の慰めと平安がありますことをお祈りいたします。
ヨセフは、ついに兄弟たちと再会します。約20年前に奴隷として売られたヨセフです。どんなに恨んだことでしょう。しかし、兄たちが、自分のしたことを悔い改めるだけでなく、末弟のベニヤミンの身代わりになるという申し出を聞くと、兄たちへの恨みは消えてしまいます。そして、自分がエジプトに売られたことは、神様の御計画の中にあることを知るのです。
家族を失うことは、とても大きな悲しみです。神様に「どうして?」と聞きたくなります。しかし、その理由を知ることはできません。全ては、神様のご計画の中にあるからです。神様の深い愛によって行われたことを信じて歩む時、私たちには、希望という恵みが与えられます。来る日に、天国に召された兄弟姉妹との再会を楽しみに神様とともに歩んでいきましょう。
(牧師 篠田 裕俊)
2024年9月15日(敬老感謝礼拝)「エジプトの宰相となったヨセフ」
敬老の日をお祝い申し上げます。神様のお守りの中、いつまでもお元気でありますことをお祈り申し上げます。
奴隷として売られたヨセフは、エジプトの言葉と文化を学び、エジプト人と同じように過ごしていたことでしょう。しかしヨセフは、冤罪によって牢獄につながられていました。ところが、エジプトのファラオの夢を解き明かすと、その対策までも示したヨセフは、エジプトの宰相として登用されます。それは、ファラオが、ヨセフに神の霊が宿っていたことを認めたからです。
ヨセフにとって、それまでの13年間は苦難の連続であり、それこそ暗闇のトンネルの中を歩くような思いだったことでしょう。しかしヨセフには、いつも主が共にいてくださいました。神様は、先が見えない暗闇であっても、決して無駄にはなさいません。そして、どんなに暗いトンネルであっても、出口があり、その先には光があります。そのことを信じて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝して歩む時、主は恵みと祝福を与えてくださるのです。
(牧師 篠田 裕俊)
2024年9月8日「主がヨセフと共におられて」
兄たちの反感をかったヨセフは、エジプトの宮廷役人である侍従長ポティファルに奴隷として売られてしまいます。父の寵愛を受けていたのに、一転して奴隷の身となったヨセフです。きっと、自分の境遇を嘆く毎日だったことでしょう。しかし、主が共におられて、ヨセフが行うことは、すべての事がうまく行きます。主人は、その働きに目をかけて、食事以外のすべてをヨセフに任せるまで信頼します。主人もヨセフの神によって祝福されます。
ある日、主人の妻がヨセフを従わせようと言い寄ってきます。しかし、主がともにいてくだることを信じていたヨセフは、主人に対して、まして神様に対して罪を犯することはできないと、その誘惑を拒みます。そのため投獄されますが、牢獄の中でも、主は共にいてくださったので、監守長も牢獄の中のすべての事をヨセフに任せます。
私たちの人生もヨセフのように紆余曲折があります。しかし、主イエス様は、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されています。「主がわたしと共にいる」ことを信じる時、神様は恵みを施し、救いへと導いてくださるのです。
(牧師 篠田 裕俊)