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2025年1月19日「敵を愛し祈る人は、幸いである」

 マタイによる福音書の5章から7節は、「山上の説教(垂訓)」と言われている有名な箇所です。イエス様は、山に登られて、人々に天の国とはどんな所であるかを教えます。その中の一つに、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とあります。私たちにとって敵とはどんな人でしょうか。それは、自分を迫害する人です。私たちは、そんな人を愛することも、祈ることもできません。それなのに、どうしてイエス様は、「愛しなさい。祈りなさい」と言われるのでしょうか。その理由をイエス様は、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者」となるからだと言われます。
では、「完全な者」とはどんな人なのでしょうか。それは、人を差別することなく愛する人のことです。神様は私たちを愛して罪を贖うために、イエス様を十字架につけられました。しかもイエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました。それだけ私たちは、神様から愛されているのです。敵を愛し、祈る時、その人は変わります。イエス様は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われます。私たちが、それに応えるとき、イエス様は「幸いである」と言われるのです。(牧師 篠田 裕俊)

2025年1月12日「イエス様に見い出されて従う恵み」 

 洗礼者ヨハネが捕まったことを聞いたイエス様は、ガリラヤに退かれて、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、福音を宣べ伝え始められます。そして、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを見て、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけます。イエス様に呼ばれた彼らは、すべてを捨ててイエス様に従います。きっとペテロたちは、自分の意志でイエス様の弟子になったと思っていたことでしょう。
 しかし、イエス様が、ペテロたち四人を探されて弟子にされたのです。それは私たちも同じです。私たちがイエス様を探すのではありません。イエス様が、私たちを探して下さり、あなたの重荷を担うから、「わたしについて来なさい」と言われるのです。イエス様にすべて委ねて従うことで、新しい生き方が与えられます。何より、イエス様と共に歩む道ほど安心なことはありません。イエス様の恵みを受け取って、イエス様と一緒に歩んでいきましょう。 (牧師 篠田 裕俊)

2025年1月5日 「わたしの愛する子、心に適う者」

 新年あけましておめでとうございます。2025年もお祈りとお支えをよろしくお願いいたします。
 30歳になられたイエス様は、ガリラヤのナザレから荒れ野に出て来られて、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられました。どうして、神の子であるイエス様が、「悔い改めのバプテスマ」を受けないとならなかったのでしょうか。聖書は、その理由を「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言います。つまり、ヨハネからバプテスマを受けることによって、罪人である私たちと同じ立場に身を置かれて、私たちの罪を引き受けて、罪の贖いとなって、神様と私たちとの間に新しい関係を造られたのです。人の子となって、バプテスマを受けられたイエス様を信じて、バプテスマを受けた私たちは、主と結ばれています。それだけでなく、イエス様と同じように「わたしの愛する子」という天からの声を聞く神の子とされて、復活の命という希望が与えられていることに感謝して、2025年も主イエス・キリストを信頼し、共に歩んでいきましょう。(牧師 篠田 裕俊)

2025年1月1日 「主イエスに導かれて」

 新年あけましておめでとうございます。今年は、有田教会・早良教会・野方教会・田隈教会の四つが一緒になっての元旦礼拝です。5年ぶりに四つの教会の兄弟姉妹と一緒に元旦礼拝を献げることができますことを感謝いたします。
さて、キリスト教暦では、1月6日は、占星術の学者たちがイエス様を礼拝した日、つまり「主の公現日」です。今日は、その占星術の学者たちが、どうしてイエス様を拝みに来たのかを考えて見たいと思います。
 ユダヤのヘロデ王の治世の時、東方の国の占星術の学者たちは、遠いユダヤの上に、今まで見たことがない星を見つけます。占星術とは、古代バビロニアで始まったもので、地上での物事の動きは、太陽・月・星などの動きによって支配されていると考えて、国家や王家の吉凶判断に使われていました。
彼らは、ユダヤに何か異常のことが起こったのではないかと考えていろいろと調べます。そして、かつてアッシリア、バビロン、ペルシアで捕囚の民とされていたユダヤ人に伝えられていた「ユダヤ人の王」、つまり「救い主」の預言を知ります。彼らは、自分たちの国に何らかの影響を及ぼすと考えたのでしょう。それを確かめるために、「ユダヤ人の王として生まれた方を拝む」ために遠いエルサレムに旅立ちます。
 占星術の学者たちは、エルサレムに着くとヘロデ王に、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と尋ねます。それを聞いたヘロデ王とエルサレムの民は不安を抱きますが、聖書にユダヤ人の王が生まれるのはベツレヘムであることを教えます。
 その御言葉を信じた占星術の学者たちが、ベツレヘムに向かうと再び星が現れてイエス様のところに導きます。彼らは、喜びに溢れて幼子イエス様に出会い、黄金・乳香・没薬という宝物を献げて、イエス様を礼拝します。そして、彼らは夢の中で、神様から、「ヘロデのところへ帰るな」とお告げを受けると、神様に従って別の道を通って帰っていきます。
 占星術の学者たちのその後の人生について、聖書は何も語りません。彼らは異邦人ですので、イエス様を拝む必要などありません。しかし、神様は、人間を神様との交わりの中に生きるものとして造られました。つまり、自分では意識していない魂の深いところには、神様を求める心が与えられているのです。彼らは、この世の占星術に従ってエルサレムに来ましたが、主イエス様の導きによって心の扉を開き、イエス様を救い主と信じる者へと変えられ、神様のお告げに従ってて自分の国に帰りました。彼らは、異教の国に帰っても、イエス様を救い主と信じた生涯であったに違いありません。
2025年、どんな一年になるでしょうか。私たちの上には、イエス様を示す星が輝いています。イエス様に導かれる道は、喜びに溢れています。イエス様はいつもあなたと共におられます。その恵みを感謝して2025年もイエス様に従って歩んでいきましょう。(牧師 篠田 裕俊)

2024年12月29日「涙を拭い、希望へと導かれる神様」

 2024年最後の主日礼拝となりました。皆様にとってどんな一年だったでしょうか。この一年、神様によって守られ、皆様のお祈りとお支えによって歩んで来られたことを感謝いたします。
 さて、東方の占星術の学者たちは、ヘロデ王から「ユダヤ人の王を見つけたら知らせてくれ」と頼まれていました。しかし彼らは、神様から「ヘロデのところへ帰るな」と告げられて、別の道を通って自分たちの国に帰って行きました。それを知ったヘロデ王は、激怒してベツレヘムにいる二歳以下の子どもたちを殺します。イエス様の誕生という喜びの裏には、子どもたちが殺されるという闇があります。それは人間がつくりだした闇です。子どもを殺された親は、かつて捕囚によって連れて行かれる子どもを見て嘆き悲しんだラケルを自分に重ねます。その悲しみの中でイエス様はお生まれになり、一緒に嘆き悲しんで涙を拭ってくださるのです。それだけではありません、悲しみが、悲しみで終わるのではなく、未来には希望があるのだから、今を生きなさいと言われるのです。皆様にとって2024年は、どんな一年だったでしょうか。イエス様は、あなたの重荷を担って、共に歩んでくださっています。それを信じて希望の光であるイエス様と一緒に2025年も歩んで行きましょう。(牧師 篠田 裕俊)

2024年12月22日「星に導かれてやってきた三人」 

 クリスマスおめでとうございます。アドヴェント・キャンドルの4本目は、「ベツレヘムのキャンドル」と呼ばれ「愛」を意味しています。
 東の国に住む占星術の学者たちは、イエス様の誕生を示す星を見つけるとエルサレムにやって来て、ヘロデ王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねます。ヘロデ王は、自分の地位が脅かされるのではないかと不安になり、聖書に通じている祭司長や律法学者たちを集めてイエス様の生まれる場所を問いただし、占星術の学者たちを密かに呼んで「星」について尋ねます。それを聞いたヘロデ王は、「わたしも行って拝もう」と言います。しかし、本当は幼子を抹殺するためでした。
 イエス様がベツレヘムで生まれると聞いた占星術の学者たちがベツレヘムに向かうと、再び星が現れてイエス様のところに導きます。彼らは、喜びに溢れ、イエス様を拝み、宝の箱を開けて、黄金(王)、乳香(神)、没薬(死と復活)を贈ります。イエス様を最初に礼拝したのは、異邦人である占星術の学者たちでした。それは、イエス様は、「ユダヤ人の王」ではなく、「すべての民の王」としてお生まれになったことを示しています。イエス様は、私たちをこよなく愛してくださり、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われます。この恵みに感謝してクリスマスを過ごしましょう。(牧師 篠田裕俊)

2024年12月15日「御言葉を信じる喜び」

 アドヴェント・キャンドルの3本目は、「羊飼いのキャンドル」と呼ばれており、「喜び」を表しています。
 天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と言われた時のマリアは、喜びよりも戸惑いのために考え込んでしまいます。続けて天使は、「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と、受胎告知をします。ヨセフと婚約中のマリアにとって、子どもを身ごもることなんて考えることもできません。
 しかも、姦淫の罪を犯すことになりますからなおさらです。しかし、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」の御言葉を信じて、神様に従うことを決心します。そしてマリアは、「わたしの霊は救い主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と讃美します。
 私たちの人生には、苦難の時があります。しかし、神様の御言葉を受け入れて、すべてを委ねる時、新しい道が開かれて、喜びへと変わっていきます。待降節の時、私たちを愛して御子イエス様をこの世に遣わされた神様の恵みに感謝して歩んでいきましょう。(牧師 篠田裕俊)

2024年12月8日「神様の御前にひとりで立つ」

 アドヴェント・キャンドルの2本目は、「天使のキャンドル」と呼ばれ、「平和」を意味しています。クリスマスの時、一日も早く戦争が終わって平和が訪れることを願い祈ります。
 神様は、マリアのことで一人思い煩っているヨセフに、「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのであり、その子をイエスと名付けなさい」と命じます。それは、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」の預言を実現するためでした。インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」ということです。イエス様は、私たちと共に歩んでくださるだけでなく、私たちの重荷を荷ってくださいます。主イエス様との歩む道は、平和の道です。その恵みを感謝したいと思います。(牧師 篠田裕俊)

2024年12月1日「ヨセフの正しさ、神様の正しさ」 

 イエス・キリストの御降誕を待つ待降節を迎え、アドヴェント・キャンドルの1本目が灯りました。1本目の・キャンドルは、「預言のキャンドル」と呼ばれ「希望」を意味しています。
 婚約中のヨセフとマリアは将来の希望について語り合っていました。しかし、ある日、マリアが身ごもります。それはヨセフにとって信じられないことであり、密かにマリアとの縁を切ろうとします。そのとき天使が現れて、マリアは聖霊によって身ごもったのであり、その子を「イエス」と名付けるように命じます。ヨセフは戸惑いながらもそれを受け入れます。このことによって、旧約聖書で預言されていた「主は救い」と言われた主イエス様の誕生が成就するのです。そして、独り子イエス様をこの世に遣わされて、イエス様を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を与えてくださるのです。その恵みに感謝して、クリスマスを迎えましょう。(牧師 篠田 裕俊)

2024年11月24日(世界バプテスト祈祷週間)「『わたしを呼べ』と言われる神様」 

エルサレムは、バビロンによって包囲されて陥落寸前です。エレミヤは牢獄につながれており、死さえも覚悟していたことでしょう。そんなエレミヤにたいして神様は、「わたしを呼べ」と命令されます。なぜなら神様は、「あなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせてくださる」からです。私たちの人生は、様々なことがあります。それこそ良い時よりも、苦難の時の方が多いのではないでしょうか。そのとき神様は、「わたしを呼べ」と言われます。そうすることで神様は、希望と平安の計画を教えてくださいます。間もなく主イエス様を祝うクリスマスです。神様は、私たちを愛してくださって、独り子であるイエス様をこの世に遣わされました。それは神様の一方的な恵みであり、イエス様によって私たちを救うためなのです。(牧師 篠田 裕俊)